2016-12-31(Sat)
大掃除のついで 我が家の弁天さま大集合!!
大晦日です。
明日は元旦。2017年の七福神めぐりを何処にするか決めなければなりません。
で、今までの七福神巡りの授与品と、弁才天コレクションを整理しようと思ったら、出るわ出るわ……
でも、たまに整理をしていくと、もう忘れていた事への気づきがあったりもします。
たとえば、下は今までの七福神めぐりの色紙ですが、辿っていくと、宝来文庫が弁天オタクになったきっかけの年は2003年だったとことも判明しました。

2017年で15年目ということですね。
最初は七福神めぐりで始まり、すぐに弁天さまに特化したマニアになったみたいです。

では、ちょうど良い機会なので、一か所に集めた弁才天コレクションの一部を紹介しましょう。
まずは、宮島の大願寺で授与して頂いた弁天さまのご分体です。
カードタイプのものと、ちゃんとしたフレームに収まったものの2種類があります。
ちゃんとした仏像タイプは気おくれしてしまうなあ、と躊躇していたら、「もっとカジュアルに弁天さまを」という方のために、「お姿」もありますよということで、お迎えすることにしました。
とりあえず、我が家のご本尊ポジションです。

これは、造形作家エサシトモコさんの「カオデカくん」シリーズですね。猫だけど羊のかぶりものを着た「一羊来福」さん、弁天バージョンです。どこが弁天さまかというと、特注で、おでこに弁天さまの梵字を入れてもらいました。
家人専用の守り神です。
(関連記事はコチラ)

左は、ネパールから来た弁天さま(サラスヴァティ)。我が家で一番の美人さんだと思います。
真ん中は、2005年愛知万博「愛・地球博」のインド・パビリオン売店で見つけた弁天さま(サラスヴァティ)。
他の客がレトルト・インドカレーばかり見ている中、一人、神像をガン見していた宝来文庫。インド人の店主が「インドの神サマならガネーシャだヨ。ガネーシャにしなサイッ」と猛烈プッシュする中、「いや、サラスヴァティじゃなきゃ買わない。サラスヴァティを出せ」とねばったところ、やっと出してくれました。
店主は「あ、ワカッタ。あなたは学者なんだナ。そうだろう?」と一人で納得していましたが、インドではサラスヴァティは芸術神というより、学問の神さま的扱いらしいですね。ちなみに、この像をキッコロ・モリゾーさまと呼んでいます。
右は浅草の骨董市で見つけた古い置物。箱がついていて(オリジナルではないようだが)、像をくるんでいた紙は昭和ヒトケタ日付の薬の処方箋でした。大正時代くらいの品でしょうか? きっと薬屋の店先に飾られていたのではないかと思います。

左は、2003年、弁天オタクの道を歩みはじめた年に江の島で買ったお土産屋の仏像。なぜ、そこまでの情熱をもって弁天道を邁進できたのかは未だに分かりませんが、初期知識として得た「日本3大弁天」のうち、一番近いからという理由で突っ走ったのだと思われます。で、記念にお土産物の仏像までお持ち帰りしました。ずっとそばにある最初の弁天像。
真ん中は、巳年にあたる2013年の干支置物。新宿伊勢丹の和雑貨売り場で買いました。このテの物特有のモッサリ感がありません。シンプルでスマートな白蛇置物。出雲大社のそばに住む木工職人が作ったものだと聞きました。
右は、今年(2016年)に入手したもの。一見、ただの招き猫ですが、その体内には鎌倉の銭洗い弁天で清めた五円玉が埋められています。作者はトシコさんという方で、ブログ仲間、きらちろママさんのお友達。宝来文庫が欲しいと言ったため、きらちろママさんが、トシコさんから調達して、わざわざ文学フリマ会場に届けてくれました。きらちろママさん、トシコさんともに拙著「東京弁天」の読者さま。有難いご縁です。

左は、作者も制作意図も全く不明な弁天さま。もう十年以上も前ですが、ネットのオークションで小さな写真を見つけ、「弁天さまのブロンズ像か!?」と鼻息荒く入札した品。世の中には好きモノもいるようで、何人かで競った結果、そこそこの額で私が落札しました。ところがその後、出品者から謝罪ともとれるメールが来て、「どんどん値段があがってしまったが、私にはこれがそんなに価値のある物とは思えない。何ならキャンセルしてくれてもいい。もし、欲しいというのであれば、送料+手数料だけでいい」と申し出があったのです。
???????
訊けば、ブロンズではなく樹脂製か何かで、おそらく「美大の学生か誰かが試作で作ったもの」とのこと。
結局、開始額と同額で自分のもとに来たこの像は、造りの荒い、美術をかじった程度の者が創ったような代物でした。
でも、と思うのです。仮に美大生が課題で作ったものだとしても、あるいは、ちゃんとした弁天像を作るための試作であったとしても、芸術を志す者の手による弁天像を自分は無下に扱うことが出来ません。なぜなら、私も同じ立場の人間だから。
右は、やはり2013年の巳年の置物として製作された水口婉子さん作の古布人形「巳 弁財天のおつかい巳」。
銀座松屋で見つけました。ひらひらの羽衣をお坊さんの袈裟の古布で作るなど、かなり凝った作品です。
作者の水口さんは、この世界ではかなり有名な方だとか。
(関連記事はコチラ)

さて、ここに紹介したのはごく一部ですが、よくもまあ、こんだけ弁天ラブ道を突っ走ってるよなあ……
自分でもそう思いました。
その成果が、今年やっと発刊できた「東京弁天」(愛蔵版)です。
今回の記事を書くにあたって、昔の日記など読み返していますと、いろいろとしみじみ感じます。

(おまけ)
2017年1月22日、いよいよ宝来文庫は京都に遠征します。
で、ついでに久々の京都観光もしてこようかな、と……
で、ふと思い出したのですが、清水寺の本堂のご本尊といえば、千手観音立像。
33年に1度だけご開帳される秘仏で、前の33年ご開帳は西暦2000年3月3日から12月3日まででした。
じつはこの時、宝来文庫は清水寺をお参りしています。
で、もう次は生きてないかも…… などと考えながら、秘仏のお守りを買ってきていました。
今回の大掃除で、それを発掘。今は弁天さま一筋だけど、このお守りは一緒に京都に連れて行こうと思います。

明日は元旦。2017年の七福神めぐりを何処にするか決めなければなりません。
で、今までの七福神巡りの授与品と、弁才天コレクションを整理しようと思ったら、出るわ出るわ……
でも、たまに整理をしていくと、もう忘れていた事への気づきがあったりもします。
たとえば、下は今までの七福神めぐりの色紙ですが、辿っていくと、宝来文庫が弁天オタクになったきっかけの年は2003年だったとことも判明しました。

2017年で15年目ということですね。
最初は七福神めぐりで始まり、すぐに弁天さまに特化したマニアになったみたいです。

では、ちょうど良い機会なので、一か所に集めた弁才天コレクションの一部を紹介しましょう。
まずは、宮島の大願寺で授与して頂いた弁天さまのご分体です。
カードタイプのものと、ちゃんとしたフレームに収まったものの2種類があります。
ちゃんとした仏像タイプは気おくれしてしまうなあ、と躊躇していたら、「もっとカジュアルに弁天さまを」という方のために、「お姿」もありますよということで、お迎えすることにしました。
とりあえず、我が家のご本尊ポジションです。

これは、造形作家エサシトモコさんの「カオデカくん」シリーズですね。猫だけど羊のかぶりものを着た「一羊来福」さん、弁天バージョンです。どこが弁天さまかというと、特注で、おでこに弁天さまの梵字を入れてもらいました。
家人専用の守り神です。
(関連記事はコチラ)

左は、ネパールから来た弁天さま(サラスヴァティ)。我が家で一番の美人さんだと思います。
真ん中は、2005年愛知万博「愛・地球博」のインド・パビリオン売店で見つけた弁天さま(サラスヴァティ)。
他の客がレトルト・インドカレーばかり見ている中、一人、神像をガン見していた宝来文庫。インド人の店主が「インドの神サマならガネーシャだヨ。ガネーシャにしなサイッ」と猛烈プッシュする中、「いや、サラスヴァティじゃなきゃ買わない。サラスヴァティを出せ」とねばったところ、やっと出してくれました。
店主は「あ、ワカッタ。あなたは学者なんだナ。そうだろう?」と一人で納得していましたが、インドではサラスヴァティは芸術神というより、学問の神さま的扱いらしいですね。ちなみに、この像をキッコロ・モリゾーさまと呼んでいます。
右は浅草の骨董市で見つけた古い置物。箱がついていて(オリジナルではないようだが)、像をくるんでいた紙は昭和ヒトケタ日付の薬の処方箋でした。大正時代くらいの品でしょうか? きっと薬屋の店先に飾られていたのではないかと思います。

左は、2003年、弁天オタクの道を歩みはじめた年に江の島で買ったお土産屋の仏像。なぜ、そこまでの情熱をもって弁天道を邁進できたのかは未だに分かりませんが、初期知識として得た「日本3大弁天」のうち、一番近いからという理由で突っ走ったのだと思われます。で、記念にお土産物の仏像までお持ち帰りしました。ずっとそばにある最初の弁天像。
真ん中は、巳年にあたる2013年の干支置物。新宿伊勢丹の和雑貨売り場で買いました。このテの物特有のモッサリ感がありません。シンプルでスマートな白蛇置物。出雲大社のそばに住む木工職人が作ったものだと聞きました。
右は、今年(2016年)に入手したもの。一見、ただの招き猫ですが、その体内には鎌倉の銭洗い弁天で清めた五円玉が埋められています。作者はトシコさんという方で、ブログ仲間、きらちろママさんのお友達。宝来文庫が欲しいと言ったため、きらちろママさんが、トシコさんから調達して、わざわざ文学フリマ会場に届けてくれました。きらちろママさん、トシコさんともに拙著「東京弁天」の読者さま。有難いご縁です。

左は、作者も制作意図も全く不明な弁天さま。もう十年以上も前ですが、ネットのオークションで小さな写真を見つけ、「弁天さまのブロンズ像か!?」と鼻息荒く入札した品。世の中には好きモノもいるようで、何人かで競った結果、そこそこの額で私が落札しました。ところがその後、出品者から謝罪ともとれるメールが来て、「どんどん値段があがってしまったが、私にはこれがそんなに価値のある物とは思えない。何ならキャンセルしてくれてもいい。もし、欲しいというのであれば、送料+手数料だけでいい」と申し出があったのです。
???????
訊けば、ブロンズではなく樹脂製か何かで、おそらく「美大の学生か誰かが試作で作ったもの」とのこと。
結局、開始額と同額で自分のもとに来たこの像は、造りの荒い、美術をかじった程度の者が創ったような代物でした。
でも、と思うのです。仮に美大生が課題で作ったものだとしても、あるいは、ちゃんとした弁天像を作るための試作であったとしても、芸術を志す者の手による弁天像を自分は無下に扱うことが出来ません。なぜなら、私も同じ立場の人間だから。
右は、やはり2013年の巳年の置物として製作された水口婉子さん作の古布人形「巳 弁財天のおつかい巳」。
銀座松屋で見つけました。ひらひらの羽衣をお坊さんの袈裟の古布で作るなど、かなり凝った作品です。
作者の水口さんは、この世界ではかなり有名な方だとか。
(関連記事はコチラ)

さて、ここに紹介したのはごく一部ですが、よくもまあ、こんだけ弁天ラブ道を突っ走ってるよなあ……
自分でもそう思いました。
その成果が、今年やっと発刊できた「東京弁天」(愛蔵版)です。
今回の記事を書くにあたって、昔の日記など読み返していますと、いろいろとしみじみ感じます。

(おまけ)
2017年1月22日、いよいよ宝来文庫は京都に遠征します。
で、ついでに久々の京都観光もしてこようかな、と……
で、ふと思い出したのですが、清水寺の本堂のご本尊といえば、千手観音立像。
33年に1度だけご開帳される秘仏で、前の33年ご開帳は西暦2000年3月3日から12月3日まででした。
じつはこの時、宝来文庫は清水寺をお参りしています。
で、もう次は生きてないかも…… などと考えながら、秘仏のお守りを買ってきていました。
今回の大掃除で、それを発掘。今は弁天さま一筋だけど、このお守りは一緒に京都に連れて行こうと思います。

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