2016-05-15(Sun)

弁天さまと御朱印巡り 第5回 「吉原弁財天本宮」(東京都)

今日の弁才天巡礼は、東京都は台東区の吉原弁財天本宮。
じつは、こちらの弁天さま、お参りするのは初めてです。

折しも、2016年5月15日は三社祭の当日でした(今年は、伊勢志摩サミットの影響で一週間の前倒し)。
浅草駅に到着後、多くの人の流れとは逆方向、吉原弁財天本宮に向かいます。



先に、吉原弁天をお参りするのは初めて、と書きました。
実際は、避けてきたという方が正しいかもしれません。
吉原弁財天本宮の中には、弁天祠に着くまでの間に、大正15年建立の「大震火災殃死者追悼記念碑」があります。

現在は、その大部分が埋め立てられてしまいましたが、かつて此処に大きな弁天池がありました。
大正12年9月1日、関東大震災の時に、この池で490余名の遊女が溺死しています。
東北の貧しい村の出身者が多かったという、吉原の遊女たち。史上まれに見る地震災害の中、「女たちを逃がすな!」と吉原大門を閉じられ、遊女たちは迫りくる炎から逃れるため、必死で弁天池へ。そこで次々と飛び込み、溺死したのでした。

当時、私は「人の祈りの切実さこそが、神仏の実在を可能にする」をキーワードに物語の構想を練っていました。それはやがて、「今、現実に降りかかっている不幸は小さなもの。もっと大きな災いを、じつは誰かが防いでくれている」という物語を書こう、に発展していきます。
でも、そんなフィクションの前に、吉原弁天の悲しい歴史は重く立ち塞がりました。
私の創作などは、実際に、苦悶とともに生涯を終えざるをえなかった人たちの怒りを買うだけだと思ったのです。



原稿執筆前の弁財天研究の間、私は吉原弁天に近づきませんでした。
一度、前を通りかかったことがあるのですが、きっと心の在りようのせいでしょう。ゾクッと背中が寒くなって、そのまま通りすぎてしまったのです。
今回の巡礼に吉原弁天を選んだのは、今さらながら、ちゃんと慰霊碑と向き合おうと思ったからでした。




「大震火災殃死者追悼記念碑」の前でお線香をあげて、目を閉じます。
こういう時、何を語り掛ければよいのでしょう?
相手は神仏ではありません。悲運の最期をとげられた犠牲者たちです。
90年以上も前の犠牲者の方々に、今の私たちが云えることって何なのでしょうか?

『来世では絶対、しあわせになって下さい』
心の中でそう呟いた時、全く風もないのに、慰霊碑の風鈴が一度だけチリーンと鳴りました。
返事をしてもらえたのだと、思っています。



慰霊碑の前を通りすぎて、弁天祠に向かいました。
老朽化対策で、2012年に改修が完了したという、その壁面には、弁才天の姿。
東京芸大や多摩美大の学生、卒業生らの有志によって描かれたものだそうです。
そのことを伝える新聞記事が掲示板にはってあり、そこには何人かの女学生が製作に携わる様子が写されていました。



かつて、遊女たちの守護神であった吉原の弁天さま。
今は正しく、芸術神として若いアーティストたちを見守っておられます。


本日の弁才天巡礼は、吉原弁財天本宮。
悲しい歴史を背負いながら、今も訪れる人の絶えない、女たちの弁天さまです。





【追記】
吉原弁財天の御朱印、お守りは、30メートルほど離れた吉原神社の社務所にて授与されます。

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プロフィール

宝来

Author:宝来
大和かたるの同居猫
年齢 9歳
性格 へたれ、人見知り
職業 宝来文庫の看板息子

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