--------(--)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2016-12-04(Sun)

弁天さまと御朱印巡り 第9回「井之頭弁財天」(東京都)

井之頭弁天さまにお参りをするのは初めてではありません。
若い頃からを含めれば、5回くらいは手を合わせていると思います。
井之頭公園の弁天さまと云えば、東京の弁天さまの中では、3本の指に入るくらいに有名ですからね。

ただ、宝来文庫はどうも吉祥寺という土地に縁がないようです。
芸術家や、その卵が多く住むという吉祥寺。私のようなタイプの人間ならまっさきに「住みたい!」と言い出しそうなのにね、と何度か言われたこともあります。でも、そう思ったことはあまり無いのですよ。
そんなだからか、井之頭弁天さまをお参りしても反応を頂けないのだと思っていました。
ただ、ここに来て、いきなり「ちゃんとお参りしよう!」と奮起したのには訳があるのです。  

というわけで、本日の弁才天巡礼は、吉祥寺は井之頭公園の弁天さまです。




過去にお参りした時、境内にある宇賀神の石造を見て、「ああ、ここは宇賀神=弁天さま」のお寺か、と思ったことを憶えています。きっとご本尊そのものが宇賀神さまで、それを弁財天と呼んでいるのだろう、と。
ただ、不勉強というのは恥ずかしいもので、もちろん、ここにも八本腕の宇賀弁才天さまはおられ、秘仏として12年に一度、巳年の4月にご開帳になるのだそうです。
前の巳年は2013年ですから、次は2025年……
いくつになってるんだ、宝来文庫!!

2013年といえば、もう東京弁天を書いている頃ですから、それでこの情報を追わなかったなど不届き千番です。
弁天研究に一番熱心に取り組んでいた時期、御開帳のニュースを捕まえ損なっていたのはどうしてでしょうか。




ところで、井之頭弁天さまと言えば、カップルでボートに乗ったら別れる等の都市伝説が有名なほか、東京随一のパワースポットとしてスピリチュアル系の人たちにも人気です。
ちょっと気になって、そちら寄りのブログ記事など読んでおりましたら、こんな記事を見つけました。
あくまで書いた方の主張ですが、井之頭弁天さまは池全体を御神体として存在し、よくお堂を出発点に池を巡回して、またお堂に戻っていかれる。分かる人にはそれが分かるのだとか。それと、気位の高い女神さまなので、二社参り(他寺社とのかけもち、あるいは「ついで参拝」)には冷たくて、お参りの日には、それだけを目的に誠心誠意参拝しないとお願いごとを聞いてくれないのだそうです。

あの大きな池を日々巡回している女神の姿を想像したら、胸がときめいてしまいます。
ああ、参拝したかったな、御開帳……
ネットで検索すれば、2013年の御開帳の時の様子があちこちで紹介されています。

12年に一度しかお顔をお見せ下さらない女神さま。
どうやら「色白で」「とても綺麗な」弁天さまなのだそうです。
こうなってくると、もういてもたってもいられません。

それで本日、朝から身綺麗にして、もう弁天さまをお参りするためだけに気を引き締めて電車に乗ったのです。




井之頭公園は終盤を迎えた紅葉に染まっていました。
風はやや冷たく、凛とした静けさ。
まずは池に向かって一礼し、それから本堂へ。
午後2時からお坊さんがお経があげられるそうなので、それにも参加しようと思っていたのですが、社務所では「本日は不在なんです」とのこと。
ああ、やっぱり縁がないのかな。でも、今までと違って、何だかこちらを少しだけ振り向いてもらえた感……
お坊さんが不在でも、女神さまはご在宅だったのだと思います。




本日の弁才天巡礼は、吉祥寺は井之頭公園の弁天さま。
色白で美しい姿だという、気位の高い女神さまです。




境内には、銭洗い弁天もありまして、鎌倉と同様、ここでお金を洗うと増える御利益があるのだとか。
別にお金が欲しい訳ではありません。
ただ、ご縁を結んでもらいたい一心で、勝守に水をかけさせてもらい、持ち帰りました。



2025年のご開帳、楽しみに待つつもりです。




(オマケ1)
お昼ご飯は、ハモニカ横丁のカレー屋さん「PIWANG」さんで二種盛りカレー。
左がカキカレー、右がチキンカレーです。
美味しゅうございました。



(オマケ2)
同じくハモニカ横丁の猫雑貨店「マルルゾロ」。


そこで面白い猫の張り子を見つけました。


稲作に精をだす猫さんです。
こういう柄、猫雑貨には珍しいですよね。
日本オリジナルの弁天さま、宇賀弁財天は農耕の神さま宇賀神との習合スタイルです。
今回の参拝のお土産としては最適ではないでしょうか。

2016-10-16(Sun)

弁天さまと御朱印巡り 第6回「厳嶋神社(抜け弁天)」(東京都)

東京都新宿区。
表通りから少し離れた余丁町の一角に、厳嶋神社(通称・抜け弁天)はあります。

普通、「厳嶋神社」と聞いてまず思い浮かべるのは、広島県(安芸の宮島)でしょう。こちらもそこから勧請されたものです。





かつて神仏習合の時代に、ご祭神市杵島姫命が弁才天と習合されていたために、神仏分離令以後の現在においても、厳嶋神社=弁才天のイメージが強いという話は前にも書きました。本家である安芸の厳嶋神社では、さすがに弁才天を看板にはしていませんが、ここ、新宿ではまだ習合時代の名残を残したままのようです。

ちなみに、この地に厳島神社がある理由ですが……
かつて源義家が後三年の役で奥州平定に向かう途中、ここで野営し、当時はよく見えた富士山と、さらにその先の安芸の厳島神社に戦勝祈願をしたそうです。そして奥州平定後、義家はここに神社を建てたのだとか。
弁天さまは、昔、戦勝の女神として武将たちに人気があったようですから、これもその一つのようですね。




ちなみに、この神社の通称である「抜け弁天」ですが、参道の入り口が南北にあって、いわば、まあ通り抜けが出来ることからなのですが、それ以外にも苦難を「抜け切れる」との意味もあるようです。
いつ頃から「抜け弁天」と呼ばれているのでしょうか?
安政4年の記録には、すでに「別当二尊院 抜弁天」の記載があると神社の由来書きには書かれています。
あと余談ですが、日本史の授業でお馴染み、徳川綱吉の「生類憐みの令」で保護されたお犬様たちの小屋(敷地面積約二万五千坪! もう小屋じゃないじゃん!)もこの付近にあったようですね。




現在の抜け弁天は1945年の東京大空襲の時に消失した後、1960年に再建された比較的新しいものです。
だからと云う訳ではありませんが、社は小さいながらも美しくて、凛としています。
大きかったり、装飾が凝っているだけが良い訳ではありません。小さくとも、この佇まいにはとても清らかなものを感じました。




そばにある池も水が綺麗で、鯉が元気に泳いでいます。
きっと土地の人たちに大切にされ、常に身辺を整えてもらえているのでしょう。




ちなみに、御朱印は正月の1~7日以外は、この西向天神社の社務所で授与されています。




今日の弁才天巡礼は、新宿区の厳島神社。
都会の一角にたたずむ、小さくとも凛とした、弁天さまの社です。



ところで、中世においては、弁天さまに調伏を祈願した武将が多かったことはよく知られています。(「戦勝の神」の呼び名の所以)
ただ、神の性格とはつまるところ、その時代時代の人間たちの願いそのもの。
今、日本は平和です。こういう時代だからこそ、民の賢さと、心の高潔さが問われている気がします。

宝来文庫は、弁天さまには正しく知恵、言葉、才能の神であり続けて欲しいと願っています。

2016-09-17(Sat)

弁天さまと御朱印巡り 第8回「瀧安寺」(大阪府)

宝来文庫のイベント初遠征、第4回文学フリマ大阪に先立ち、一日前に大阪入りしました。
もちろん、観光も楽しみたいのですが、やはり、ここはその地の弁天さまにご挨拶というお約束は守らなければなりません。

関西の弁天さまには明るくないので、七福神巡りコースから弁天さまを探します。
「大阪七福神」、「西国七福神」等があるようなので、「西国七福神」から、箕面の瀧安寺をお参りすることにしました。

阪急電車です。
この上品なマルーン・カラー。いいですね。
マイ・ベスト電車ですよ。




箕面駅から一歩踏み出すと、いい感じの観光地ムード……
箕面と云えば紅葉。
あちらこちらに「紅葉天ぷら」のお店があります。




駅から瀧安寺まで、15分ほどかかりますが、自然の中を歩く時間は都会の散策とは違った愉しさがありますね。




瀧安寺は修験宗のお寺で、宝くじ発祥の地としても有名です。
658年、役小角が箕面の滝に弁才天の像を安置したことに始まり、山岳霊場として栄えてきました。

現在の瀧安寺には、弁天さまのほかに如意輪観音も祀られていて、「如意輪観音さまがご本尊?」と思ってしまいますが、ここのご本尊は、昔から弁天さまです。

修験道の弁天さまというのも珍しいですよね。

階段をのぼって……




ここからが弁天堂です。
ご本尊は60年に一回だけ御開帳されるのだとか。
(前の御開帳は平成元年)




境内には妙音弁才天の像もありました。
弁天さまは大きく二つの系統に分かれていて、宇賀弁才天(八本腕の弁天さまで頭に宇賀神をのせています)と、この妙音弁才天(琵琶を持っています)。お寺でよく見かけるのは前者、イラストなんかで世間一般に認知されている弁天さまは後者ですね。




翌日に大阪で「東京弁天」を頒布させてもらうので、ご挨拶のお参り。
でも、60年に一度しか開かれない扉の向こうからは、弁天さまの息吹は感じられません。おそらく、一見さんの私などと、まだご縁を結んでいただけないのでしょう。


お寺を後にして、山を登ります。
この先、さらに20分ほど行くと、今の地に祀られる前、最初に弁天さまが安置されたという「箕面の滝」があります。




日ごろの運動不足のせいで、ぜいぜい云いながら山道を行きました。
そして、ポツポツと彼岸花が咲いているのが目に入った頃……




向こうに、ようやく滝が見えてきました。




高さ約33メートル、幅約5メートル。日本の滝100選にも入っている名勝です。




滝のそばの岩に腰をかけますと、霧のような水しぶきが全身にあたり、気持ちが好いです。
何というのでしょうか…… 
水の精に囲まれているような、不思議な感覚。
1400年も前、ここに弁天さまは祀られていたのですね。




涼しい、と一言に云っても、クーラーに当たっているような涼しさとは全く違います。
目を閉じて、耳を澄ませば、この土地の一部になったような感覚に浸れます。
都会の喧騒で疲れた体が、すうっと軽くなりました。
まだここに、弁天さまはおられるのではないでしょうか?




今日の弁才天巡礼の旅は、大阪は箕面の弁天さま。
滝の下に住まう、正しく水辺の女神さまです。





帰り道、「箕面焼」というお店に入ってみました。
ちょっとビックリ。
陳列された器が真っ赤です。

どうやら、紅葉を写し取った陶器のようですね。
記念に買って帰りました。





他に、こんなお土産たちも……
次は、ぜひ紅葉のシーズンに訪れたいものです。





2016-06-26(Sun)

弁天さまと御朱印巡り 第7回「宝珠院」(東京都)

東京タワーのすぐ近くにある弁天池。その側にひっそりと佇む浄土宗のお寺、「宝珠院」。


拙著「東京弁天」シリーズには、東京タワーの頂上に腰をかけ、じっと首都の平和を見守る女神、弁才天サクラさまが登場します。このヒロインは、宝珠院さんをお参りしている時に着想しました。
(サクラさまの作品デビューは「真琴さんの引っ越し」という小説です)

宝来文庫にとって、宝珠院さんは特別なお寺。
心が乱れた時などに、手を合わせにいきます。

そんな訳で、今日の弁才天巡礼は、東京都は港区の浄土宗「宝珠院」。今年に入って二回目のお参りです。




宝珠院の開山は1685年。増上寺を構成する伽藍のひとつとして誕生しました。
ここには、858年に智証大師が竹生島で彫ったと伝えられる弁天像が祀られており、源頼朝、徳川家康と時の治世者に受け継がれた後、現在では宝珠院弁天堂で、徳川家康の命日(4月17日)とその前の2日間のみご開帳されています。


関東大震災、東京大空襲すら乗り越えた宝珠院。ですが、老朽化が激しく、東日本大震災では、屋根の一部が崩れる等しました。もうすぐ工事が始まるようです。




ビニールシートのかかった屋根の向こうには、東京タワーが見えます。





このあたりは、春は桜が、秋には紅葉が美しいですね。




池のほとりに佇んでいると、本当に弁天さまがそばに寄り添って下さっているような気持になります。




いつまでも、東京のまちが平和でありますように……






本日の弁才天巡礼の旅は、浄土宗「宝珠院」。350年にわたり江戸を、東京を見守りつづけてきた弁天さまのお寺です。

さて、写真の御朱印の日付と、これを書いている今日の日付が違うことについて少々……
昨年、家人が大病を患って生死をさまよった際、宝来文庫は心に余裕がなくて此処に祈願に来ることすらしませんでした。4月になって急激に病状が回復し、退院できると分かった時も、ただただ喜んでいただけ。
でも、家人の退院日が4月17日と正式に決まった時、宝珠院さんのことを思い出さずにはいられませんでした。
家人は、弁天さまの御開帳日に家に帰ることが出来たのです。

弁天さまは、私のような不義理な者にもご縁を結んで下さったのでしょうか。
これは今年の4月17日、今さらながらにお礼に行った時の御朱印です。




ちなみに、宝珠院さんの境内で生まれた私の小説は、今年で誕生5周年になります。そろそろ刷っていた在庫も尽きてきましたので、本年9月にビジュアルを一新し、中身にも改定を加えて再発行の予定です。
下の絵は、現在、絵師さんに製作してもらっている裏表紙絵の線画です。弁才天アヤメさまのお師匠さま、猫如来ですね。
表紙絵もふくめて、最終的にどんな仕上がりになるのか、今から楽しみでなりません。




2016-05-15(Sun)

弁天さまと御朱印巡り 第5回 「吉原弁財天本宮」(東京都)

今日の弁才天巡礼は、東京都は台東区の吉原弁財天本宮。
じつは、こちらの弁天さま、お参りするのは初めてです。

折しも、2016年5月15日は三社祭の当日でした(今年は、伊勢志摩サミットの影響で一週間の前倒し)。
浅草駅に到着後、多くの人の流れとは逆方向、吉原弁財天本宮に向かいます。



先に、吉原弁天をお参りするのは初めて、と書きました。
実際は、避けてきたという方が正しいかもしれません。
吉原弁財天本宮の中には、弁天祠に着くまでの間に、大正15年建立の「大震火災殃死者追悼記念碑」があります。

現在は、その大部分が埋め立てられてしまいましたが、かつて此処に大きな弁天池がありました。
大正12年9月1日、関東大震災の時に、この池で490余名の遊女が溺死しています。
東北の貧しい村の出身者が多かったという、吉原の遊女たち。史上まれに見る地震災害の中、「女たちを逃がすな!」と吉原大門を閉じられ、遊女たちは迫りくる炎から逃れるため、必死で弁天池へ。そこで次々と飛び込み、溺死したのでした。

当時、私は「人の祈りの切実さこそが、神仏の実在を可能にする」をキーワードに物語の構想を練っていました。それはやがて、「今、現実に降りかかっている不幸は小さなもの。もっと大きな災いを、じつは誰かが防いでくれている」という物語を書こう、に発展していきます。
でも、そんなフィクションの前に、吉原弁天の悲しい歴史は重く立ち塞がりました。
私の創作などは、実際に、苦悶とともに生涯を終えざるをえなかった人たちの怒りを買うだけだと思ったのです。



原稿執筆前の弁財天研究の間、私は吉原弁天に近づきませんでした。
一度、前を通りかかったことがあるのですが、きっと心の在りようのせいでしょう。ゾクッと背中が寒くなって、そのまま通りすぎてしまったのです。
今回の巡礼に吉原弁天を選んだのは、今さらながら、ちゃんと慰霊碑と向き合おうと思ったからでした。




「大震火災殃死者追悼記念碑」の前でお線香をあげて、目を閉じます。
こういう時、何を語り掛ければよいのでしょう?
相手は神仏ではありません。悲運の最期をとげられた犠牲者たちです。
90年以上も前の犠牲者の方々に、今の私たちが云えることって何なのでしょうか?

『来世では絶対、しあわせになって下さい』
心の中でそう呟いた時、全く風もないのに、慰霊碑の風鈴が一度だけチリーンと鳴りました。
返事をしてもらえたのだと、思っています。



慰霊碑の前を通りすぎて、弁天祠に向かいました。
老朽化対策で、2012年に改修が完了したという、その壁面には、弁才天の姿。
東京芸大や多摩美大の学生、卒業生らの有志によって描かれたものだそうです。
そのことを伝える新聞記事が掲示板にはってあり、そこには何人かの女学生が製作に携わる様子が写されていました。



かつて、遊女たちの守護神であった吉原の弁天さま。
今は正しく、芸術神として若いアーティストたちを見守っておられます。


本日の弁才天巡礼は、吉原弁財天本宮。
悲しい歴史を背負いながら、今も訪れる人の絶えない、女たちの弁天さまです。





【追記】
吉原弁財天の御朱印、お守りは、30メートルほど離れた吉原神社の社務所にて授与されます。

プロフィール

宝来

Author:宝来
大和かたるの同居猫
年齢 9歳
性格 へたれ、人見知り
職業 宝来文庫の看板息子

カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
カテゴリ
アクセスランキング
[ジャンルランキング]
小説・文学
606位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
ファンタジー
16位
アクセスランキングを見る>>
来館者数
お問い合わせメール

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
リンク
QRコード
QR

FC2Ad

Powered by FC2 Blog

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。